ローマにトラヤヌスが即位し、113年より侵攻を受ける。パルティアはローマにアルメニア、メソポタミアを奪われ、115年には首都クテシフォンを攻略される。117年、オスロエス1世によりクテシフォンは奪回するもののアルメニアとメソポタミアはローマの属州となった(第5回パルティア戦争)。同年にトラヤヌス帝が死ぬとローマはメソポタミアを放棄し、ユーフラテス川を両者の国境と定めた。
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ローマとの和平後の134年にはアラン人に侵入され略奪された。
ヴォロガセス4世(在位:148年 - 192年)は161年の時代にはマルクス・アウレリウス・アントニヌス治下のローマと再びアルメニア問題で対立し、162年にローマ領シリアに侵攻したが、反撃を受けて164年に首都クテシフォンを破壊され、占領される。しかしこの時、ローマ軍で天然痘が発生し、これに乗じてクテシフォンを奪回し、アルメニアを占領した。166年、パルティアはローマに北メソポタミアを割譲することで戦争は終了した(第6回パルティア戦争)。
後を継いだヴォロゲゼス5世はマルクス・アウレリウスの死後の内紛に介入するが、内紛を収めたセプティミウス・セヴェルスの侵攻を受けて194年には再びクテシフォンを落とされるが、ローマ軍も兵站が上手くいかなかったために撤退した。197年にローマ領メソポタミアに侵入するが、198年ローマ軍によって撃退され撤退した(第7回パルティア戦争)。
ヴォロガセス5世の跡を継いだヴォロガセス6世の時代(207年頃)に内紛が起き、国が分裂した。メソポタミアとクテシフォンをヴェロガセス6世が、イラン高原をアルタバヌス4世が支配し、国内を二分して合い争った。この内乱に乗じてローマのカラカラ帝が侵攻してくるが、アルタバヌスはこれを打ち破り、大勝。カラカラは軍中で暗殺され、アルタバヌスはローマから賠償金を奪った(第8回パルティア戦争)。
しかし国内の混乱はますます激しさを増し、全土に反乱が多発する。220年、それに乗じたペルシア王アルダシール1世の侵攻を受け、メソポタミア諸都市も多数離反し、ヴェロガセス6世は陣中で死去し、アルタバヌス4世も224年にアルデシール1世に敗れて殺された。この時点で事実上パルティアは滅びた。
その後、アルタバヌスの子・アルタバスデスが抵抗を続けたが、クテシフォンで処刑。パルティアは完全に滅亡した。
パルティアを滅ぼしたアルダシール1世はパルティアの後継者を名乗り、「バシレウス・バシレイオン」(諸王の王)を称してクテシフォンを首都としてサーサーン朝を設立した。